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明日のために。 震災の教訓とこれからに備えて

巨大地震巨大津波の恐ろしさを教訓に、その体験を後世に語り継ぎ、残していかなければならない。
災害への備え、災害発生時の対応、応援体制、復旧・復興への取り組みなど、この東日本大震災の被災がもたらした教訓をこれからに活かしたい。
子供たちや孫たちの未来のために。

津波てんでんこ。

いざという時、自主的な判断、日頃からの訓練、備えが大切に。

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群馬大学 片田敏孝 教授 提供

「津波てんでんこ」とは、三陸地方に残る言い伝えで、津波が来たら親子てんでんばらばらになっても、かまわず高台へ逃げろということ。
津波襲来時、岩手県の釜石東中学校と鵜住居小学校の生徒・児童約570人は、直ちに避難。中学生が小学生の手を取り、より安全な場所へと避難し、全員が助かった。
最初は予め避難先に指定されていた「ございしょの里」へ避難。しかし、施設裏の崖が崩れている様子などを見てさらに内陸側の介護福祉施設へと走った。その直後、そこにも津波が迫ってきたため、最終的には国道45号方面の高台へ避難した。 彼らは”てんでんこ”の教訓とともに、防災教育や避難訓練で培われた「想定にとらわれるな」「その状況下で最前を尽くせ」との教えを忠実に実践し、主体的な行動により自らの命を守り抜いた。
それは日頃の防災教育や訓練の成果が発揮された結果であり、災害に備えることの大切さを教えている。

東北の元気へ 復興への道、始動。

復興へと導く”リーディングプロジェクト”が始まった。

広域的で災害に強い道路ネットワークは、産業を支え、地域経済を活性化する。
災害時には、避難路として、あるいは救援道路・緊急輸送道路として機能する。
「一日でも早く、被災地域が元気を取り戻し、安心して暮らせるように」、関係機関が一丸となったプロジェクトがスタートした。

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岩手県宮古市 中心杭設置式
2011.12.23
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岩手県田野畑村 復興道路着工式
2011.11.20

河川・海岸堤防の本格復旧に着手。

宮城県の復興を、防災面から支える本格復旧工事。

河川堤防については、2011年11月11日から121箇所において本格復旧工事に着手した。
また、岩手、宮城、福島3県の海岸施設は総延長300キロに及び、うち約190キロが被災。特に被害の大きかった仙台湾南部海岸は、宮城県知事からの要請を受け、管理者である県に代わり国が代行して工事を実施することとなり、被災3県では初めての本格復旧工事に着手した。
堤防の高さは、数十年から百数十年に一度の発生が予想される津波を想定し、7.2メートルに設定。この復旧工事は、沿岸5市町(仙台市、名取市、岩沼市、亘理町、山元町)の復興を防災面から支えることとなる。

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仙台湾南部海岸(宮城県名取市)
堤防復旧着工式
2012.1.29
国土交通省 東北地方整備局資料
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仙台湾南部海岸(宮城県名取市)
工事開始式
2012.1.29
国土交通省 東北地方整備局資料

復興に向け、河口部堤防を整備。

海岸堤防やまちづくりと一体となった河口部の堤防を設備。

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旧北上川河口部:宮城県石巻市
被災状況
国土交通省 東北地方整備局資料

旧北上川の河口部に位置する宮城県石巻市をはじめ、一級河川の河口部では、市街地まで津波が押し寄せ、さらに広範囲で地盤沈下が発生したため、まちは壊滅的な被害を受けた。
このため、宮城県沿岸域にある5つの一級河川の河口部では、震災後直ちに河川堤防の緊急復旧を行った。また、河口部の堤防の本格復旧に向け、新たな海岸堤防と整合を図り、洪水、高潮、津波の3つの外力に対応する堤防高を設定した。今後、被災地の復興に向け、沿岸自治体の復興計画と整合を図りながら、平成23年度から概ね5年間で河口部の堤防を整備する。

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旧北上川河口部の緊急復旧
(大型土のう積み)
[平成23年6月25日完了]
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巨大地震の今後の可能性。

東日本大震災に連動して、巨大地震の発生が予想される。

今回の三陸沖を震源とした巨大地震巨大津波を発生させ、青森県から千葉県までの太平洋沿岸に甚大な被害をもたらした。この地震は歴史的に見ても連動すると見られ、首都圏直下型、東海・南海・東南海地震の発生が予想されている。

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出典:「日本復興計画」(京都大学大学院工学研究科 都市社会工学専攻 藤井聡研究所)から引用
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出典:中央防災会議「東南海、南海地震等に関する専門調査会(第16回)」資料より作成

子へ、孫へ 後世へ伝える。

地震と津波の恐ろしさを語り継ぎ、後世に伝えていきたい。

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両石津波記念碑

この写真は岩手県釜石市両石町の国道45号線沿いに立つ石碑。
津波の恐ろしさを伝えるもので、中央と右側の2基は明治29年(1896年)、左の1基は昭和8年(1933年)の碑だ。マグニチュード9.0の巨大地震、その揺れの恐ろしさ。その地震から発生した巨大津波による被害の悲惨さ。私たちは、この災害を忘れてはならない。 恐ろしい体験を教訓として子や孫に語り継ぎ、後世に残さなければならない。
未来の人々を悲しませないために。

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