住民を守り、支えたインフラ 

仙台東部道路や福島県の国道6号相馬バイパスは、その盛土構造が防潮堤の役割を果たした。また、宮城県の岩沼市寺島地区の住民は、阿武隈川の堤防の上に避難し難を逃れた。

道路が市街地への津波の流入を抑えた。

仙台市を含む宮城県の中南部は低平地が広がっているため、海岸から約4km内陸まで津波が達した。しかし、盛土構造(約7〜10m)の仙台東部道路によって、市街地への津波や瓦礫の流入が抑制された。仙台市の東部を北から南に走るこの仙台東部道路が、防潮堤の役割を果たし、また、仙台若林JCTと名取ICの間では、津波から逃げる高台として約230人が避難した。
福島県相馬市の国道6号相馬バイパスでも高さ約5mの盛土区間が防潮堤の機能を果たし、津波の浸水被害の拡大を防いだ。


住民が津波から逃れた寺島堤防、公民館への避難路となった中下堤防。

宮城県岩沼市の寺島地区は阿武隈川の河口部に位置する低平地のため、近くに高い場所がない。大津波警報が発令されたとき、住民約50人は阿武隈川の寺島堤防に避難した。海からの津波と川を遡上する津波との挟み撃ちにあったが、波が堤防を超えることはなかった。住民は一人も犠牲者を出すことなく、堤防を経由して岩沼市民会館へと避難することができた。
また、松島市野蒜地区の住民約80人は、鳴瀬川河口付近にある野蒜築港資料館の2階に避難し、その後中下堤防を通って中下公民館に避難した。
どちらの堤防も耐震対策がなされていたため、地震と大津波に耐え、大きく被災することがなかった。  

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住民を守り、支えたインフラに関する伝承看板

仙台東部道路による津波被害低減を教訓とした総合的な津波対策

仙台市若林区井土字開発139-1 (海岸公園冒険広場 管理棟前) MAP

 仙台市を含む宮城県の中南部では平地という地理的条件もあり、海岸から約4㎞まで津波が到達した。 しかし、盛土構造(約7~10m) の「仙台東部道路」が、市街地への津波やがれきの流入を抑制する堤防として機能したほか、津波から避難する高台としても機能した。
 こうした教訓が東日本大震災後の津波対策の参考となり、仙台市では海岸・河川堤防の整備、海岸防災林の再生、及び「県道塩釜亘理線等」のかさ上げなど、「総合的な津波対策」としてハード・ソフト施策を組み合わせた、津波による災害に強い地域づくりが進められている。


津波被害から地域を守った「相馬バイパス」

福島県相馬市光陽四丁目2-5 
(相馬光陽パークゴルフ場 レストハウス屋外壁面) MAP

 相馬市では、大洲海岸から約3.7㎞の距離にある国道6号相馬バイパスまで津波が到達したが、高さ約5mの盛土構造であるバイパスが防潮堤として機能し、津波浸水被害の拡大を防いだ。
 なお、相馬バイパスは発災後早期に仮復旧(3月18日)し、災害救助、被災地からの瓦れき搬出等にも有効に機能し、被害拡大の防止、早期の復旧にも大いに貢献した。
 こうした事例がその後の津波対策の参考となり、「多重防御」の発想による津波災害に強い地域づくりが進められることとなった。


津波を受けても落ちなかった橋(二十一浜橋)

二十一浜橋 MAP

2011年3月11日14時46分、マグニチュード9.0の東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)が発生しました。地震発生後、東北地方を中心に北海道・関東地方も含む太平洋沿岸には巨大津波が押し寄せ、道路崩壊や橋桁の流出など各地に壊滅的な被害をもたらし、沿岸部の被災地を孤立させました。
東日本大震災により三陸沿岸を通る国道45号では約300㎞という広範囲で津波の影響を受け、南三陸町から陸前高田市にかけて5つの橋が落橋しましたが、橋長17.0m、プレストレストコンクリート橋の「二十一浜橋」は激しい津波に耐え、落ちることはありませんでした。
「二十一浜橋」は、橋台背面盛土は流出しましたが、上部工は津波に耐えていたため、橋台背面の盛土流出箇所に応急組立橋を用いることにより、迅速な応急復旧が可能となり、震災発生から24日後の4月4日に車線2車線を確保することができました。
本復旧工事では、新しい国道45号を震災前の国道高さよりも約8.0m嵩上げを行い、より災害に強い道路として整備し新しい二十一浜橋の架け替えも含めた災害復旧工事は2020年6月に完成致しました。