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2.啓開

発災翌日から、とにかく車が通れるだけのルートを切り啓く「道路啓 開」(「くしの歯」作戦)を実行しました。
余震や津波の再襲来の危険がある中、建設会社の現場責任者と道路管 理者は、使命感と地域を思いやる心から啓開作業を決意し、啓開作業にあたりました。
さらに、ご遺体の措置に当たった自衛隊、警察、県市町村の関係機関との連携により早期に道路啓開を完了できました。

「くしの歯作戦」、決行。

命の道を切り開く、一刻を争う戦いへ。

「くしの歯作戦」とは、内陸部を南北に貫く東北自動車道と国道4号から、「くしの歯」のように沿岸部に伸びる何本もの国道を、救命・救援ルート確保に向けて切り開く作戦のこと。
想像を超える巨大津波は、太平洋沿岸の各地に壊滅的な被害をもたらし、がれきや橋の流出で沿岸部の各地を孤立させた。地震発生直後、国土交通省 東北地方整備局の災害対策室には、幹部や職員が続々と集結。
道路関係事務所や出張所と連絡を取り、被害確認と対策立案を急いだ。そして、直ちに、命の道確保に向けてルートを切り開く「くしの歯」作戦を決行した。

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2日間で、11ルート確保。

がれきを処理し、段差を直し、救命・救援ルートを切り開いた。

負傷者の命を救い、被災者に緊急物資を届けるルートを確保せよ。
被災直後に立案された「くしの歯作戦」のもと、道路の「啓開」が実施された。啓開とは、切り開くこと。
県の職員、陸上自衛隊、地元の建設会社、国土交通省 東北地方整備局の職員たちが一丸となって、がれきの中を突き進んだ。余震が続き、津波警報が出されている中、「一人でも多くの命を助けるために」という思いで懸命の作業が続いた。それにより、翌日の12日には11ルート、15日には15ルートが開かれ、救急車や警察、自衛隊などの緊急車両が通行可能に。
医療チームも被災地に入る事ができ、支援物資なども届けられることとなった。

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国土交通省 東北地方整備局資料

堤防が、緊急輸送路に。

道路兼用河川堤防の復旧を最優先し、緊急物資輸送などが実現。

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北上川河口部(石巻市釜谷地区)では、道路兼用の河川堤防が1,100mにわたって流出した。
そのため集落が孤立し、救援活動などが行えない状態に陥った。
まずはクルマ1台が通れる幅の確保を最優先に復旧を実施。3月14日、暫定1車線での通行が可能に。
これにより、緊急車両の通行や緊急物資輸送が実現し、被災者支援に結びついた。
また、同様の被災を受けた道路兼用の河川堤防も、交通確保を最優先に復旧活動が行われた。

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国土交通省 東北地方整備局資料

3月23日(水)までに主要10港、接岸可能。

被災3日後から、港湾内の障害物を取り除く航路啓開を開始。

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3月13日夕刻の津波警報・注意報の解除を受け、翌14日早朝から海に流出、または沈んだコンテナやクルマ、漁網などの回収を行う航路啓発が開始された。
被災地への支援を第一に、宮古港、釜石港、そして東北最大の港湾である仙台塩釜港を優先して啓開。その後、3港以外の主要な港湾にも展開された。被災後5日目となる16日には、釜石港に緊急物資船が入港。23日までに被災10港で、暫定の航路が確保され、海上からの緊急物資の搬入が可能となった。
また、震災から10日目となる21日には、仙台塩釜港にオイルタンカーの第一船が入港し、深刻を極めていた燃料不足が緩和された。

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3月21日〜31日までの入港実績

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3月21日〜26日
2,000Kl級タンカー 8隻
燃油約16,000Kl
3月27日〜31日
5,000Kl級タンカー 12隻
燃油約37,000Kl
燃油約53,000Kl
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